集団的自衛権の行使容認のための憲法解釈変更に反対!
「邦人保護の名の下、自衛隊が地球の反対側まで行くというが、武力行使すれば必ず戦乱に巻き込まれる、騙されてはいけない」
これは、栃木県の旧国分寺町の元町長であり自民党員の若林英二さんが栃木県小山市で開かれた集団的自衛権行使容認への反対集会で話した言葉です。また、「この地域の昔からの自民党支持者は私と同じように思っている人が多い、安倍政権の動きには内心はらはらしている」とも言っています。このように、身内からも指摘を受けている状況です。
7月1日に閣議決定をしとうとしている中、今、あちこちで集団的自衛権行使容認に反対する声があがっています。
先日、目黒区では若者1000人が集まり、集団的自衛権の行使容認に反対する集会が開かれました。また、6月17日東京では5000人が、6月20日名古屋では2000人が集まり、集団的自衛権行使反対を訴えました。その他、大阪、神戸、福島など全国各地で反対デモが相次いでいます。国の根幹にかかわることを民主的な手続きを一切踏まず、しかも憲法の解釈の変更、という卑怯な手段を使って、憲法に違反したことを強引に推し進められていることに、多くの国民が怒りの声をあげているのです。
内閣の判断で憲法解釈を変える首相のすすめ方について、朝日新聞世論調査では、67%が「適切ではない」と答えています。行使容認に反対か賛成かを問う世論調査では、日経新聞は反対47%賛成37%。毎日新聞は反対54%賛成39%と、国民の支持を全く得られていない状況です。
首相は国民からの理解を得るため、5月15日のテレビ記者会見でパネルを使って事例を説明しました。海外の紛争から逃げようとする日本人の子どもとその母親を乗せた米国の救助船が敵国から攻撃を受けた場合、その船を守れなくていいのかというものです。しかし、過去の日米交渉では日本の民間人らを米軍が避難させる計画は最終的に米側に断わられた経緯があります。それに、有事の際は邦人を救出し輸送するならまず自衛隊の輸送機が使われるでしょう。まず、米軍の船に日本人が乗船しているという想定自体がとても考え難いもので、全く現実的ではありません。救出が必要な場合は、直接日本が救出に向かわなければならない問題です。またこの日の予算委員会の答弁では、アメリカの救助船に日本人が乗っていないと防護できないということはありえないと言います。つまり日本人が乗っていなくても集団的自衛権を行使できると答えているのです。
政府はその他、8事例を取り上げ、「限定的」を強調していますが「国民の生命、自由、幸福追求が根底から覆されるおそれがあること」と「おそれがある」という抽象的な表現を用い、拡大解釈の危険性が露呈しています。
不安げな親子のイラストを使って「命を守る」と情緒に訴えるだけであり、理屈のなさを攻められて説明できていません。
2月12日衆議院予算委員会で集団的自衛権の行使容認について、これまでの政府見解との整合性を問われると、安倍首相は「政府の最高責任者は私だ。選挙で審判を受けるのは私だ」と答えましたが、自民党の村上誠一郎議員から「憲法解釈の最後の番人は最高裁だ。行政府が勝手に解釈を変えるのは三権分立、立憲主義に反する、禁じ手だ」と指摘がされました。安倍首相の発言は国民を無視し、憲法は国家権力を縛るもの、という立憲主義を否定するものであり、決してゆるされないものです。
「放置すれば日本の安全に大きな影響が出る場合」と言いますが、それは個別的自衛権の範囲内で考えるべきことです。いくら「必要最小限度」と言ってもはっきりと明確な歯止めをかけることは不可能です。日本の自衛隊を、日本の若者を戦地に送り出していいのでしょうか。これまでもイラクへ派兵された日本の自衛隊の28人が自殺をしています。もうこれ以上、日本の若者を苦しめないでほしい。
自民党の石破茂幹事長は集団的自衛権についてNHKの番組で「アメリカの若者が血を流しているのに、日本の若者が血を流さなくていいのか?」といいました。
アメリカの若者だって血を流さないようにするのが日本の役割なのではないでしょうか。どうしてアメリカに追随して日本の若者が戦争に巻き込まれ、日本の若者が血を流し、命を投げ出すことをしなければならないのでしょうか。
これまで、「侵略の為」と言って始まった戦争はありません。どれも「自衛の為」と言って始まるのが戦争です。かつて日本も国民の利益、幸福を追求するという名目で戦争に突入し、その反省のもとに憲法が作られました。集団的自衛権の行使はその平和憲法と両立できるはずもなく、過去の過ちを繰り返そうというものです。ドイツの事例を見て下さい。1990年、今の安倍首相がやろうとしているのと同じように、解釈改憲の手法で北太平洋条約機構NATOの域外派兵に乗り出した結果、アフガニスタンに絡んで55人の犠牲者を出しています。これも後方支援に限定した派兵でしたが、兵士が戦闘に巻き込まれて死亡する事例が6割に上りました。
戦争に巻き込まれる、ということは、殺されるかもしれない、だけではありません。「殺すかもしれない」とことです。日本の自衛隊員たちにそんな覚悟を強いるというのでしょうか。
こんなことをして、子どもたちに、胸を張って平和な社会をつくってきたと言えるでしょうか。
今、この集団的自衛権の行使という風穴をあけてしまったら、戦争への道が開かれてしまします。日本の「平和主義」「基本的人権の尊重」「主権在民」この3本柱を守っていくのは私たち大人の責任です。
(6月24日、「集団的自衛権行使容認のための憲法解釈変更に反対する意見書」に対する賛成討論から)