福島を視察して

福島のまち、山、川、空気は当たり前に綺麗でした。しかし、土曜の昼に公園には子どもの姿はなく、あちこちにはブルーシートの青い塊、不自然に刈られた植木。線量計は見たこのない高い数値を示していました。私が訪れたのは異国ではなく自分のすぐそばの現実なんだと何度も確認してしまいました。ここ福島ではなにが起こって何を失ったのか。2日間のフィールドワークを通し、その一部を感じとることができた気がします。

福島では何重もの分断によって人々は口を閉ざしています。原住運の筆頭代表の伊藤達也さんはじめ、多くの方が、福島が引き裂かれているお話をされていました。原発事故がもたらした最大の災害は問題の解決を生まない「分断」だと思いました。一つは同心円に区切られた地域社会の分断。コミュニティとは関係なく20㎞、30㎞、で線引きされました。二つ目は放射能による家族の分断。安全か危険か、避難するのかしないのか、考え方の違いによって、夫婦や親子でも対立します。基準値など意味がありません。「ただちに健康に影響はない」と言われていますが、人々の心にはただちに影響があったようです。また、賠償金も県内7つに分けられ額がちがう。隣の人がいくらもらったかが対立をひき起こします。除染労働者や原発収束作業員は全国から集められ、1万円の特殊勤務手当がピンハネされても作業が終わると無言のまま全国に散っていきます。また、放射能は県内外関係なく広がっていきますが、汚染の度合いではなく福島ゆえに売れない、結婚ができない、ということが起こっています。このような先の見えない状況で復興はありえるのでしょうか?楢葉町宝鏡寺の住職、早川篤雄さんは、「再生、復興はデタラメだ。このまちは崩壊して消滅したんだとはっきり言ってほしい。」と悲痛な思いを語られました。国は、「分断」という手法によって、福島の声を葬ろうとしているのではないでしょうか。その手法に巻き込まれず、東京や全国の人が自身の問題として注目し続けなければなりません。失ったものを取り戻すために、何が求められていて私たちになにができるのか、継続的に考えていこうと思います。

 

使われなくなった駅

広野町 津波のあと